2006年04月09日

カウンセラーを「天職」とすること

振り返ると、このために、いろいろ生きて来たのだ、と思うのです。

○ 僕の基本ポリシー。

  (1)人がみな自分自身で問題を解決する能力を持っていること、問題を発見し、解決していこうとする意思力と行動力を持っていることを心から信じ、尊重する。

  (2)クライアントの、個性と状況に合わせて、常にベストの支援を提供する。

  (3)カウンセラーである限り、自らのスキルと人間性を高め、成長し続けていく。

  (4)清潔、誠実、ゆるやか志向のモードを大切にする。

  (5)I am OK, then You are more OK. ! (私はOK, いわんやあなたはOKです!)


○ 上の(5)に関しては、もう一つの見方があります。
   キューブラー・ロスの「最後のレッスン」というTV番組をみました。
   波乱万丈の一生を終えようとする最期のベッドで彼女が言います。

   「I am not OK. You are not OK. But it is OK. 」

   (私はOKじゃないし、あなたもOKじゃない、でも、それでもOKなのよ。)

   すべてを受容れること、そこから出発すること。遅すぎることはないこと。
   そういうことだと、理解しています。


○ 僕の師匠は、価値ある著書を遺してくれた歴史上の理論家、講義や講演で薫陶を受けることのできる現存の先生、インターネットやメディアを通して教えをいただいている実践者、日々訓練と学びを共にしている仲間たち、そして最後にもっとも大切なクライアントの皆さん。すべての方々のおかで僕の成長が支えられています。

 2006年04月09日

 「聴く」、ということ

○ カウンセリングにおいても、コーチングにおいても、まず、「聴く」ということから、クライアントとの付き合いが始まリ、それに終始するのだ、といっても差し支えないかと思うほど「聴く」ということは大事です。

耳から入って、十四の心で「きく」から「聴く」と書くんだ、と言っている人もいますね。

「聴く」ということは、簡単ではない。

「話す」ことの方が、比較すれば、簡単なのではないかと思います。自分を軸として、自分の考えにしたがって、言葉を選んでいくのだから。

「聴く」のは、相手に軸をおいて、相手の価値観に従って、自分の想定もしなかったことにも、ついて行き、分かっていこうとするところに難しさがあります。

相手の立場にたって、相手を尊重して、無条件の積極的関心をもって、相手の話を聴く。。。

「聴く」という字が、「徳」に見えてくる、このごろです。  (2006/04/09)


○ 人間に何故耳が二つあって、口が一つしかないか、というお話、聞いたことがありますか?

自分が話すより、相手の話を2倍、聴くためだそうです。   (2006/09/07)

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  2006年04月16日

心理学を学ぶ者にとって、漱石は面白いなぁ、という気がしています。

漱石全集の日記の巻は、こういうノートで始まっています。

「心は喜怒哀楽の舞台
 舞台の裏に何物かある
 煩悩と真如は紙の裏表の如し」

漱石の小説は心理的技法が縦横に用いられている心理小説です。
漱石の命題は、人間とはなにか、心理的理解から宗教へいたるまでのものだったと言えます。
漱石は神経症だった(平井富雄)、いや分裂症でしょう(土居健郎)と言われています。

文学全集本のおしまいの方によく載っている「年譜」を見ると驚くべきことが書いてあります。
生まれて直ぐ四谷の某家に里子に出され、まもなく連れ戻されます。
2歳で今度は新宿の名主へ養子に出される。
この義父の女性関係がもとで家庭不和が続き、養母とともに生家に引き取られたり、戻ったりする。
10歳で、養父母が離婚に至り、養母とともに生家に戻る。

もう少し、細かく言うと、両親が余りに高齢で漱石を生んだので(父ー54歳、母ー41歳)、恥じて、子を捨てた、というところから彼の人生が始まったのです。
乳・幼児期に母の愛情を十分に得られなかった場合、どのような影響がでるか。
神経症にも分裂症にも、アダルト・チルドレンにも成りえます。

漱石は27歳で帝国大学文科英文科を卒業するわけですが、3年間勉強して、文学というものが解らずじまいだった、といいます。
そのころのことを「私の個人主義」に書いています。長い文章ですが、味わい深いものだと思いますので以下に引用します。

 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ちすくんでしまったのです。
そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないか知らんという希望よりも、こっちから探照燈を用いてたったひとすじで好いから先まで明らかに見たいという気がしました。
ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。
ぼうっとしているのです。
あたかもふくろの中に詰められて出る事の出来ないひとのような気持ちがするのです。
私はただ一本の錐(きり)さえあればどこか一ヶ所突き破って見せるのだがと、焦りぬいたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見するわけにも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰鬱な日を送ったのであります。
 私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。
しかし一旦外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるには決まっています。
それで私は出来るだけ骨を折って何かしようと努力しました。
しかしどんな本を読んでも依然として自分はふくろの中から出るわけには参りません。
このふくろを突き破る錐はロンドン中探して歩いても見つかりそうになかったのです。
私は下宿の一間の中で考えました。
詰まらないと思いました。
いくら書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めました。
同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救うみちはないのだと悟ったのです。
今までは全く他人本位で、根のないうきぐさのように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気が付いたのです。
・・・・・
 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。
彼ら何者ぞやと気概が出ました。
今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実はこの自己本位の四字なのであります。
 自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。
・・・・・
 その時私の不安は全く消えました。
                             「私の個人主義」より

これを漱石の「自己の確立」とするならば、36歳になっていました。
漱石は50歳で生涯を閉じています。   


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2006年09月07日

○ 1971年にヒットした歌です。
1971年は僕が、社会人になった一年目。ラジオの深夜放送から流れてくるこの歌を聴いていました。
原作者はキャロル・キングですが、ジェームス・テイラーが歌ってヒットしました。
二人とも、ビッグ・スターではありますが、繊細で、神経痛むことがあったらしく、お互いが支えあって生きてきた、というメッセージがこの歌の背景にはあるようです。
 中学生の教科書の付録に載ったこともある、ポピュラーな歌でしょうか?

カウンセラーの出来ることに思いを馳せると、この歌が思い出されるんです。

君の友達 ジェームス・テイラー/キャロル・キング

When you're down and troubled
and you need a helping hand
and nothing, whoa nothing is going right.
Close your eyes and think of me
and soon I will be there
to brighten up even your darkest nights.
君がしょげて悩んでいるとき
そして手助けが必要なとき
そしてすべてがうまく行かないとき
目を閉じてボクのことを考えるんだ
そうしたらすぐに君のところへ行くよ
真っ暗な夜でも明るくするために


You just call out my name,
and you know whereever I am
I'll come running, oh yeah baby
to see you again.
Winter, spring, summer, or fall,
all you have to do is call
and I'll be there, yeah, yeah, yeah.
You've got a friend.
ただボクの名前を呼べばいい
そうすればどこにボクがいようと,君はわかるはず
ボクは走って君の元に行こう
また君に会うために
冬,春,夏,秋
ただ君はボクの名前を呼べばいい
そうすればきっときっと君のところにボクは行く
そう君には友達がいるんだ


If the sky above you
should turn dark and full of clouds
and that old north wind should begin to blow
Keep your head together and call my name out loud
and soon I will be knocking upon your door
仮に頭の上の空が
暗くなって雲だらけになっても
そしてあの北風が吹き始めても
神経を集中してボクの名前を大声で呼ぶんだ
そうしたら君の部屋のドアをノックしに行くよ

You just call out my name and you know where ever I am
I'll come running to see you again.
Winter, spring, summer or fall
all you got to do is call
and I'll be there, yeah, yeah, yeah.
ただボクの名前を呼べばいい
そうすればどこにボクがいようと,君はわかるはず
ボクは走って君の元に行こう
また君に会うために
冬,春,夏,秋
ただ君はボクの名前を呼べばいい
そうすればきっときっと君のところにボクは行く


Hey, ain't it good to know that you've got a friend?
People can be so cold.
They'll hurt you and desert you.
Well they'll take your soul if you let them.
Oh yeah, but don't you let them.
友達がいるのがわかるっていいことじゃないか
人は冷たくあたるかもしれない
君を傷つけて見捨てるかもしれない
もし君が許せば人は君の魂を奪ってしまうかもしれない
そう,でも君はそんなことさせないだろう


You just call out my name and you know wherever I am
I'll come running to see you again.
Oh babe, don't you know that,
Winter spring summer or fall,
Hey now, all you've got to do is call.
Lord, I'll be there, yes I will.
You've got a friend.
You've got a friend.
ただボクの名前を呼べばいい
そうすればどこにボクがいようと,君はわかるはず
ボクは走って君の元に行こう
また君に会うために
冬,春,夏,秋
ただ君はボクの名前を呼べばいい
そうすればきっときっと君のところにボクは行く
そう君には友達がいるんだ


Ain't it good to know you've got a friend.
Ain't it good to know you've got a friend.
You've got a friend.
友達がいるのがわかるっていいことじゃないか
友達がいるのがわかるっていいことじゃないか
君には友達がいる


訳:HideS


<この歌を聴いて見たい人は、下記のサイトで、クリックしてください。
 http://www.eigo21.com/03/pops/42.htm

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 2006年09月12日

○  ヒューマニスティック心理学の人間観は、
「人は誰でも、条件と環境が整えば、自らの問題を、自分で発見し、自分で解決策を考え、意志を持って行動する能力がある」
というものです。

「答え」はすでに「自分の中」にある、ということでしょうか。

なかなかそれに気づかないものなのですが・・・。

僕は、「未来」はすでに「今の自分の中」にある、という言い方が好きです。

あなたの中に眠っている未来は、あなた自身によって、見つけてもらうのを待っているのです。



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